倉持 一裕
俳優。サイアンインターナショナル所属。早稲田大学文学部卒。
早大演劇倶楽部の創立メンバーとして演劇活動を始める。
TV『相棒』『八重の桜』、舞台『黒蜥蜴』『毛皮のマリー』、
CF「アクサダイレクト」等に出演。
目黒Body Chanceスタジオにて4年1600時間を超える専門的訓練を経て、
2013年からアレクサンダー・テクニックを教え始める。
演技講師としても20年近いキャリアを持ち、俳優指導だけでなく、
大学・専門学校・小学校での講師や社会人向けのセミナーなども手がける。
趣味は日本舞踊、クラリネット、水泳、ジャグリング、運転しながら歌うこと。
埼玉県在住。妻、長男と三人暮し。
ブログ「俳優のためのアレクサンダーテクニック」
http://alexandertechforactors.blogspot.jp/
メッセージ「俳優のためのアレクサンダーテクニック」
俳優の訓練は、一言で申し上げれば「自分を知る」ことだと考えます。
その人その人に無限の要素と可能性があります。それを探求するのですから、一生続くのは仕方ありません。故・亀山先生の「演技を学ぶだけではダメ」というお言葉もいつも強く私に響きます。
もちろんこの道場は〈演技〉を主旨に開かれておりますので、私のレッスンでは「演じるために必要な、しかし演技術だけではないもの」を意識的に提供しています。
日本には「ダメ出し」という文化? があります。そのためか、俳優自身も演技教師や演出家など俳優を導く役割にある者も、皆一様に俳優の足りてないところを探し、そこを指摘し、そこを改善しよう(させよう)とします。
一見正しい手順かのようですが、改善に実際に取り組む時に、足りてないと思われるその〈部分〉にだけ目を向けて、俳優の〈全体性〉を忘れてしまうと、たとえその部分だけが改善されたとしてもその辻褄を合わせるために、今度は俳優の他の部分に問題が起きてしまうという事象が絶えません。
部分だけを改善しようとすると、今度はより多くの足りないところ……新しい欠点を生み出しかねないのです。もしも、そのような負のサイクルを重ねる中から「だから一生修行は続くのだ」と考えてしまったとしたらそれは大変な間違いでとても残念なことです。
私は、俳優が「改善したい」とか「成し得たい」という彼らの望みに取り組む際、いつも「その部分に直接的に働きかける」のではなく、「その俳優の存在全体に間接的に働きかける」ような指導を心がけています。
これはその俳優が(……本人が演じたいのであるならば)初めから演じることに〈足りてない〉存在ではない、という考えにもつながります。そもそも「演技」は誰でもできる開かれた芸術表現の一つなのですから。
この考え方には、私個人の演技観・俳優観と共に、アレクサンダー・テクニックの概念が根底にあります。そしてこの「その俳優の存在全体に間接的に働きかける」ためのツールとして、その指導にアレクサンダー・テクニックを使っています。
このテクニックを使うことで、俳優は自分自身をいつも上手に自分自身のバランスを取りながら(本来人間に備わる調整作用を活用しながら)成長…変容することができます。常に安全で、健康的で、建設的な思考とともに訓練を積むことができます。痛みや苦しみなどの抵抗も減りますので、それまで苦しむことが訓練だと考えていた俳優たちのなかには初めは少し戸惑う者もいます(笑)。
以上のことを総じて、私は簡単な言葉で「上手な自分の使い方」と言っています。
これは俳優にとって「演じるために必要な、しかし演技術だけではないもの」の一つです。やりたい演技と俳優自身を繋げるための潤滑油のようなものです。
これを上手に使えるようになれば、俳優が自身の望みを叶えるための強力な技となります。死ぬまで使える一生ものの術です。
もちろん、これ以外にも「演じるために必要な、しかし演技術だけではないもの」はあります。ただ、長くなりますのでこの場ではここまでにさせて頂きます。
とは言っても「上手な自分の使い方」は、俳優にとって欠かせない最初の基礎です。故に西欧有数の俳優養成機関もその訓練の初期段階からアレクサンダー・テクニックを採用しています。
俳優の日常の訓練からお稽古やオーディションそして本番においてまで「自分を上手に使うこと」は上達のためにも、長く健康に演じ続けるためにも、お客様に喜んでいただくためにも決して欠かすことができない要素なのです。
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