お久しぶりです、お疲れ様です。玉腰裕紀です。
演技ってのは三角形で成り立っていると、道場では何度も教わっております。曰く、頭、体、心のバランスが大事なんだとか。
動き回ってセリフが雑になってはダメだし、次の段取りを考え過ぎてるようでは気持ちが入らず、気持ちがあっても体が動かなきゃ話にならない。3つをバランス良く鍛えて初めて良い芝居になる、と言うことで。
自分の場合、なんですが。どうも頭偏重っぽい感じ。特に最近、自分の中で気持ちを入れて芝居する、と言うのが全然できてないような。台本読んで気持ちは当然想像はしますが、全部頭で考えてやって、いわゆる「なりきる」感覚がまるで掴めず…しかも考える部分も自分の場合ズレてるらしく、切り捨てた部分をつっこまれたり…で、上手くいかなくってヤケになって、何も考えずに勢いでやったらダメ出しが少なかったり…ままならないものです。
勿論勢いだけでは何にもなりませんが、何と言うか思い切りがなくなっている気が…マズイなぁ。
ま、思い悩むのも見習いの特権、てことで。焦らず行け…るほど、時間が有れば良いのですが。
【祐一からひとこと】
役の心になって、没頭して気持ちよく演じるって何だろう・・・
僕自身、問い続けてきて未だ掴めない自分の影踏みのような謎です。
僕自身の体験で言えば、役の気持ちイコール自分の気持ちみたいに
台詞も動きも何もかも自分の腑に落ちて自然で、出番が進行すればするほど
ドンドン乗ってきて、何かが自分を突き動かしていて我を忘れていつの間にか幕が降りていた・・・・・
そんな日楽屋で待っていたのは演出家の怒号と罵りでした。
逆に、どうにも集中力を欠いてしまい、でも幕が開いた本番を放り出すわけにはいかず、
仕方なく一つひとつの台詞を丁寧に、稽古で「実感込めて言えたのではないか」と感じた時の言い回しを
一つずつ再現し、動きも演出に忠実に、ただ段取りに見えないようにきっかけを間を空けずに取ることと
動き始めを俊敏にすることだけを意識して、とにかく丁寧に置いていった本番・・・・・
どんな暴言も謗りも当然受け止めるつもりの失意の中戻った楽屋で、
滅多に誉めてくれない演出家が涙目で喜んでくれた経験。
自分の「演じている充実感」とは真逆の評価、反応が返ってくることが多いです。
なんなんだろうと途方に暮れたこと、何度もあります。
そんな経験を何度もしながら、少しずつ分かってきたことがあります。
【ひとこと】ではとても書けない話しなので、自分の日記に書きますね(笑)。
先日のレッスンは、進行していたシーンスタディの最終日でしたね。
まくし立てる台詞が連続する難役で、こちらのリクエストやアドバイスも自然細かくなりましたが、
最後の通し、細かい言葉の立て方へのこだわりと、言われたから言い返す買い言葉の勢いとが同居して
素敵な瞬間が沢山あったのが僕は嬉しかったです。
無我夢中なのに熱中し過ぎていない状態とでも言うべき演技。
振り切れてバランスが崩れる!と思った瞬間丁寧な段取りに戻る演技。
頭偏重なのはマイナス要素ではありません。
心、身体、どの二等辺三角形の辺が長いかは人それぞれで、
それぞれに長所と弱点があります。
カバーさえ出来ればどれも長所になります。
頭偏重で考え抜いて演じるのは美点だと僕は思っています。
本番で、頭で考えながらその場にいることを抑え、
ただ周りからの刺激に反応する心に夢中になる、その為に
稽古では頭で考え演技を構築し、本番ではポカンと無心でそこにいようとする。
それでも稽古であれこれ試行した残像は体内に残っていて、それが心を支えてくれる。
そんな演技が理想的だと思うからです。