かつて日本には「失われた20年」と呼ばれた時代があった。
バブル崩壊後の日本社会は 長く閉塞感が漂い、
およそ社会の動きは滞留していた。
今 終息の見通せない感染症は 日々の生活に重く暗い影を落としている。
多くの善意の人々は俯き無言で耐え忍び、
一部の人間は夜の街で一時の享楽に溺れている。
識者は「この感染症と共に生きよ」と語り 役人は「正しく怖れよ」と悟りを繰り返す。
長く続くであろう不本意な生活も要は考え方一つではないだろうか。
出来れば自暴自棄に陥らず、明るく楽しくとは言えなくても
心模様だけは前向きでいたいと思う。
学生の本分は勉学である。俳優の本分は演じる事である。
演じる上で常に俳優を悩ますのが感情の扱い方だ。
現場で「感情を豊かに」とか「もっと感情をこめろ」と兎角
感情についての演出家からの指摘は多い。
勢い俳優はその指示に従い感情を作ってみせるが、
それは所詮無理やり作られたもので 中身が無く、
いわゆるフリの演技に他ならない。
ある程度経験のある俳優でも本物の感情を持たずに
要求される感情を満たそうと分量の足りない感情を注ぎ足して
己の感情にウソをついてしまうのだ。
又 気持ちを作る俳優というのは絶えず自分の中を覗き込み
周囲の人との関わりが薄く 自分の気持ちの説明をし始め、
それを表現と勘違いしてしまう。
スタニスラフスキーは
感情について この様に教えている。
「感情に手をつけてはいけない。感情そのものを動かそうとすれば必ず失敗する」と。
やはり俳優の為すべき事は、脚本の丁寧な読み込みから始めて役の核心を掴み、
役の生きる目的と障害 葛藤とを己の中で真実の思いまで昇華させる事なのである。
一瞬でも 別の人間の人生を生きると言う離れ業をやってみせるのが俳優なのである。
【主宰からひとこと】
いつも同じ演技の道を志す稽古場の仲間たちに向けて
力強い言葉を投げかけてくださりありがとうございます。
ご自分の文章ばかりになってはと、違う方の日記を挟むお気遣いまで
ご提案いただき、嬉しく有り難く感じています。
7月はじめにいただいたこの文章から1ヵ月半、
何度も読み返す度、状況は変わっても変わってはいけない、
見失ってはいけないものを思い出させてもらえる気がします。
感情を出すことが目的ではなく、状況に身を置き結果反応していく為に演じる。
それが実人生に与える豊かな影響について、
この状況だからこそ繰り返し考えていきたいです。