演技の喜びを探求する、俳優・声優養成所「ヴォイス&アクターズ道場」

王道邪道(玉腰裕紀)

こんにちは。土曜日夜クラスの玉腰です。

前回「別の舞台がある」と言ってましたが、10月に無事終了致しました。
東京芸術祭野外公演「吾輩は猫である」に出演致しました。

自分史上初、ギャラありの舞台だったので印象深いですが、
それ以上に驚いたのは、役者さんが皆曲者揃いだった事。
強烈なアクを纏った強者たちと戦って、非常に刺激になりました。
演出自体も各々のクセを強化する方法に進み、
個性で殴り合うような幸せな時間でした。
お客さんの入りも上々。評判も良かったようで、最高の体験をさせて頂きました。

個人的にそう言う普通では無い芝居をする役者が好きなのもあって、
いわゆる普通の舞台、を見ると物足りなく感じることがあります。
なんだか客席まで熱が届かない気がして。

勿論普通の、基本に忠実な芝居が出来なければ
変化球も弱くなるのは分かってます。
特に自分の芝居は直球勝負を避ける傾向があるんで、
だからこそ意識して鍛えなきゃイカンのですが。
基本の型が出来なきゃ応用技は使っちゃいけないんですよね。

わかっちゃいるんだけど、と悶々としておりますと、
ある舞台を見た時衝撃を受けました。
その舞台で奇抜な演出や大掛かりな力技を使ってないかと言えば
厳密にはそんなこと無いんですが、役者さんの演技はスタンダード寄りなものでした。
それでもセリフが、動きがこっちな刺さる。しっかり届く。ハッとしました。

ある程度以上の技量があれば、どちらのアプローチでも
魂を打つことはできる訳ですね。
あとどっちにしてもその人アクを封じるのは無理。
でもそれが味になるのでしょう。
そんな当たり前のことに改めて気づいた今日この頃でした。
それでは今日はこの辺りで。




【主宰からひとこと】
道場では毎週、映像・舞台・声様々な芸能案件の出演を促していますが
オープンコールの公的舞台のオーディション難関を
突破して活き活きと出演してくれたのは
私自身にとっても励みになる嬉しいニュースでした。

出自やキャリアが違っても、演技者同士は血が騒ぐというか、
相手役の演技的背景や傾向を瞬時に感じることが多くあります。
様々なタイプの演技者と知り合うほど、結果的に自分自身が見えてくるのは
人間は比較対象があった方が自分の欲するものも
具体的に見えてくることの証しな気がします。

飛び道具というか、突飛な演技を私はレッスンでも否定しません。
それをやるのも「勇気」だからです。稽古場では勇気を出して演じている人が王様です。
奇抜な演技、思いつきのアドリブについて、レッスンでもよく質問されますが、
私の回答の価値観はいつもただ一つです。

・物語に奉仕するアドリブだったらOK

物語を伝えるのにプラスになるアドリブ
役の人物の心情に観客を同調させるアドリブ
観客が喜びながらも物語への没頭から醒まされないアドリブ

単なる自己満足、自己開放との違いはそれに尽きると思います。
それが有効なんだけど、それが難しくもあり・・・
演技は毎回がレアケースだけど、アドリブを連発して、
奇抜なアイディアを実行して
相手役に届かなくて相手役を怒らせて物語から離れて
一体何の為に演技してるのか分からなくなって
場の空気が悪くなって自己嫌悪で沈没して・・・・・・

自慢じゃないけど私自身そういう経験を沢山してきました。
自分がスベッたことも、物語から離れてしまったことも
失敗をいっぱいすることでセンサーが働き、
避けることが出来るようになるのです!

演技には周到な準備とイメトレが大事だけど、
同じくらいその場の思いつきや条件反射、瞬発力も必要です!
その共存が大事なんです。
言葉にすると矛盾しているようなカンジだけど、
その共存している状態というのは確かにあって、
そこにいくことは可能なことなんです。

アドリブもアクの強さも毎回がレアケースだから、
こうすれば必ずこうなるという法則はありません。
観客に昨日愛された俳優が今日は嫌われる・・・普通にあることです(辛いけどね)。

即興もアクの強さ全開も存分に試してほしい。
毎回のレッスンで全員がボリュームたっぷりの役を
何度も何度も演じるようにしているのは
その為なんです。
小さくまとまらないで、アクも全開、アドリブもやりたい放題、大歓迎です!

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