演技の喜びを探求する、俳優・声優養成所「ヴォイス&アクターズ道場」

人間を演じる(高屋恭平) 2020年6月2日

我々俳優は虚構の世界を生きている。
映像であれ舞台であれ全ては作り物である。
たとえ史実に基づいていても ひとたび脚本化されれば、
それは作り物と化してしまうのだ。
そして、その作り物を本物にしてしまうのが
俳優の力量だ。
ただ 無理やり本物にしようとすればボロが出る。
すぐさま「ウソ臭い」と叩かれる事になる。
これは築地小劇場以来 演劇を志す者について回る
宿命と言えるかもしれない。
名優と呼ばれる役者も調子に乗れば足をすくわれる。
褒め殺しにあえば、途端に奈落に落とされる。
ただ、難しく考えたくはない。要は「役の人物として生きる」
「演じるのではなく存在する」これが出来れば何も怖がる事はない
のだ。本来は。ただ 言うは易く行うは難しだ。
多くの役者が、この深遠なる課題に苦悩し数多ある演技書に
その方法論を求めてきたのである。
苦悩しているなら、やがては救われようが、
ある者は演技などに何故 方法論が必要なのかと嘘ぶき、
感覚のみで芝居を押し通す者もいるから畏れいる。
私は演劇というモノ言う芸術に真剣に取り組む者は
一度は演劇を理論的 体系的に学ぶ必要があると思っている。
何も新劇の理論を言っているのではない。
俳優が戯曲の世界の中で全く別の人間となって
生きると言う意味を考えてみると言う話だ。
ぽっと出のタレントさんが稽古など全くしないまま
脚光を浴びても底が見えてると言う話だ。
我々は人間を演じるのである。
聖人君子では決してなく傲慢で偽善ぶった優しさを
仮面に隠して生きている人間を演じるのである。
生身の血の通った人間を演じる難しさから逃げてはいけない。

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